2011年4月26日火曜日

床に降ろした電子レンジ

【バウの道中記】2011年4月28日  武蔵野  月笑庵


震災前の3月3日のことでした。不思議なことですが、今回の東日本大震災の兆候が私の頭の中にぼや〜とですが揺らめき出したのです。その日から3日間は次第にその揺らめきが地の動き、海の動きと変化していきました。

それまでの私は、地震などの予兆を感じた人から情報を受けて、私のまわりのそれらしき人たちに準備を怠らないようにとアドバイスをするだけだったのですが、今回はその立場が一転して、ある種微妙な立場に立ってしまったのです。こんな話は皆さんも時々耳にしたことがあるでしょう。その張本人になってしまったのです。

今回は呪術もやらない、祈りもやらない、予見も必要だとしていないこんな私なのに、すぐその先に現れる映像を見せつけられたのです。さぁて、どうしたらいいんだろう???

私はとりあえず、日頃から信頼関係のある2人の友人に、この話を打ち明けたのですがその2人とも、私にはそんな兆候は出て来なかったと、告げられてしまったのです。

そうなれば、かあちゃんだけには理解してもらって(これは成功)、ホームセンターに行ってろうそくやペンライトを買ったり、キャンプ用品店で水のタンクを手にいれし、家の中にある一番大きなサムソナイトのバックに保存食を2週間分詰め込んだり、最後にパソコンを置いている手製のテーブルを倒れないように補強して、冷蔵庫の上に置いていた重いレンジを床に降ろして、やっと一段落・・・家の中だけが騒々しい1週間でした。

3月11日の大震災は、そのレンジを床に降ろした2日目にやって来ました。

たぶん、私と同じように「準備を怠らないように」と感じることをさせられた人は何人もいたのでしょう。声をおかけ下さい。いつかどこかであいましょう。

この40日間で、すでにこの先の6通りのプロジェクトを準備しています。それらの発表は、このサイトか、またはアースデー東京タワーのサイトでお伝えしていきますので、混沌としたこの時期の2週間後に始めていく私たちの新鮮で力強いプロジェクトを何かの参考にしていただければと思っています。

>>『アースデイ東京タワー・ボランティアセンター』のサイト

さて、3月20日を過ぎたあたりで、私は体力がなくなり12時間の緊急入院をすることになりました。頭がM9ぐらいの震度で揺れて、顔から駅の床に倒れて、その時眼鏡もいっしょに割ってしまいました。この時、意識も5分間ぐらい消えていたようです。

そのころやっていたのがストレスがぶくぶく溢れてくる、国会周りのロビー活動でした。でも、この倒れたことが好を奏して、衆議員議員が総務省の担当にどなりこんで・・・『ふるさと義援金ができてくれたのです。』

>>『ふるさと義援金』のサイト
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さ〜てと、そろそろ次に入っていきますね!連チャン3っのプロジェクト創りです。これまた迫力があるんですから・・・。

のんびり、たんたん、ゆったり、ひょうひょうとやっていきますね!夜中の3時だ!ねよっと!

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